プッシュとプル - サプライチェーンの二つの方法 (2010/03/22)

大勢の乗客を乗せた豪華客船が深夜、氷山に衝突した。船体にはひびが入り、みるみる浸水が拡がっていく。乗客はみな甲板に上がり、救命ボートに乗り込もうとする。だが、救命ボートの数が足りない。こんな巨大な船が沈むはずがないと考え、スペースのためにボートの数を減らしていたのだ。女性と子供を、まず優先させなければいけない。

船長は一計を案じ、まず米国人の男性客達を見つけて、こう言った。「今、ここで率先して海に飛びこめば、あなたはヒーローになれますよ。」「そうか!」--米国の男達は、われ先に冷たい海に飛びこんだ。つぎに船長は、イギリス人船客の男達に、こう言う。「今ここで飛びこめば、あなたは紳士として尊敬されますよ。」「わかった」--英国人の男性達は威厳をつけて海に飛びこんだ。さらに船長は、フランス人の男性達に、こう言う。「今飛びこめば、あなたは女にもてますよ。」そういわれてフランスの男達はつぎつぎに勢いよく飛びこんだ。そして船長は、ドイツ人の男性達に、「皆さん、船から降りてください。これは規則です。」すると彼らは序列を作って海に飛びこんだ。

最後に船長は、日本人観光客の男性達のところにきて、こう言う。「さて皆さん。他の男の人たちはみんな海に飛びこみましたよ。」

・・だれが考えたジョークかは知らないが、一種の誇張された戯画とはいえ、私たちの傾向の一面を突いている。『隣百姓』という言葉があるが、私たちは何かと、周囲の人のふるまいを見て、自分のすることを調整する傾向が強い。

それは会社組織の行動についても、例外ではない。「ライバル会社は皆、そうしてますよ。」という言葉は、「そんなやり方、時代遅れですよ。」というセリフとともに、一種の殺し文句に近い。正しいやり方かどうかとか、効率的かどうかについては、我々は議論する。しかし、自分だけ取り残されることに対しては、本能的な恐怖感をもっている。それはある意味で、私たちの社会の協調性ないしチームワークの強さを作っている。と同時に、参入競争の激しさや、全員が同じ方向に流されやすい不安定さの原因でもある。

過去10年間というもの、生産マネジメントの世界では、『トヨタ生産方式』がこの国を席捲していた。なんといってもダントツ一人勝ちの会社であり、日本経済の牽引車と皆が考え、そのやり方を学び真似ることこそ、ものづくりの世界で生き残る秘訣と信じられてきた。であるからこそ、カンバン方式もセル生産もアンドンも、多くの工場に競って導入されてきた。いや、導入が試みられてきた。トヨタ生産方式が機能するためには、その商品特性をはじめとして5つの必須の条件があるのだ、ということを私はこのサイトでも、かつて書いた(「あなたの会社にトヨタ生産方式が向かない五つの理由」 2008/06/30)。だが、私のような一個人が私的ホームページで何を主張しようと、大きな潮流などむろん変えられるものではない。

トヨタ生産方式、あるいは「トヨタ流」生産方式の中心には、プル型の生産思想がある。需要に応じて、必要なものを、必要な量だけ、必要なタイミングに生産すること。すなわち、自分で勝手に需要を見込んで生産し、出来上がった製品を市場に押し込む(プッシュ)ではなく、実需で消費された分だけ、機敏に補充生産すること。つまり、市場に向かって下流側の製品引き取り(プル)を契機にして、上流側が部品を加工して補うこと。これがトヨタ流生産方式の要点であり、その指示ツールとして、カンバンが用いられる。と同時に、製造ラインは段取り替え時間を最小化して、品目の変化にすぐ追随できるようにする。ややこしい計画立案などしなくても、出荷を起点として、カンバンにしたがって工場を動かせば、余計なつくりすぎなど必要なくなる。まことに合理的なシステムである。

ところで、トヨタ自身は、最終製品である車両について、引き取り補充型の生産などしていないことは注意に値する。最終組立ラインは、実需にもとづいてはいるが、順序計画をたてて動かしている。むろん月間生産計画も持っている。トヨタの系列部品会社にさせていることと、トヨタ自身がやっていることは少し違うのだ。自動車業界のサプライチェーンの形を見ればわかるとおり、流通チャネルはメーカー別に系列化されており、車両メーカーは販売計画と生産計画の両方を自分で決めることができる。もう少し言い方を変えれば、トヨタを中心として、生産(供給)側はプル型で、販売側はプッシュ型で動かしているのである。

この点は、長年のライバルである日産と比べると、相違が引き立つ。これは伝聞だが、日産の製造の人は、あまり自社の販売力に期待を持っていないらしい。そこで、受注確定を起点にして、生産側が完全に追随する、という方式を理想としているようである。全サプライチェーンを、プル型で動かそうとの努力である。トヨタが、販売チャネルに対して、必要ならば引き取り義務を課したりして、生産量の平準化を保とうとするとする姿勢とは、対照的である。だが、そのおかげで、部品会社から見ると、日産の月別先行内示量は、トヨタの内示量に比べてばらつきが多く、あたらない、という現象が生じる。全社プル型では、すべて市場の需要まかせなのだから、内示(予測)など当たるわけがない。結果として、部品会社の方でも安全在庫を積みまして、需要変動から身を守る必要が生じる。

私は、どちらが優れていてどちらが劣っている、とここで即断するつもりはない。サプライチェーンのデザインは、その業界の習慣や製品の特性、また企業の実力や社内の力関係などによって、さまざまな解がある。ものごとを実現する方法は、一つではない。たいていの場合、複数の解があって、いずれの方法にも一長一短がある。それを客観的な目で公平に見て、もっともフィージブルと思われる方法を選び、それに賭ける。これが経営判断というものだろう。

ところで、複数の方法がある際に、無意識に一つの方法を選びとる傾向が生じるとき、我々はそれを『文化』という名で呼ぶ。生産マネジメントの分野で見る限り、私たちの社会は明確に「プル型」文化である。プッシュかプルかの選択肢があるとき、プル型を選ぶ。プル型とはつまり、上流側が下流側に合わせる方式、供給側が需要側に譲歩する方式、買い手側の主張にサプライヤー側が身を引く態度、である。下請けさんには泣いてもらおう--こう考えるのは(自分の都合を他人に押しつけるのだからプッシュ型みたいに思えるが)プル型の思考形態である。プッシュ型とは、自分の主張を、顧客に対して押し出すタイプを言う。「うちの製品は品質が高く、技術も優秀なんだから、買うのが当然だ!」こういう自己主張の強いタイプが、プッシュ型である(どこかの国のOSメーカーとか、ERPメーカーとかに、ありますね)。

だからプル型は受注生産に、プッシュ型は見込生産に向かう傾向が強いのも、当然であろう。何度も書いたが、日本の製造業の9割は、受注生産形態である。プル型の思潮に、とてもよく合う。ところが、トヨタ自体は、いわばプッシュとプルのハイブリッド型なのだった。そして、これは、自動車産業のサプライチェーンで正しく運用すれば、とても効率的な仕組みだった。正しく運用すれば、だが。

リーマン・ショック後の赤字決算につづく、リコール問題の噴出で、トヨタの威信が大きく揺らいでいる。おかげで、これまで陰でくすぶっていたトヨタ批判も、少しずつ口に出されるようになってきたらしい。私は、このサイトでの書きぶりからもお分かりの通り、トヨタという会社自体は好きでも嫌いでもない(ちなみに自家用車はトヨタではなくFIATのちっぽけな車に乗っている)。だが、無批判にトヨタのやり方を真似る事は意味がない、と主張してきたつもりだ。周囲のやっている方法に無意識に自分を合わせる--これもまたプル型文化の傾向の一つであろう。みんなが乗るからといって豪華客船に乗り込み、みんなが飛びこむからといって氷河の漂う寒い海に飛びこむのは、ナンセンスである。プルであれ、プッシュであれ、それを自分の頭で考えて、選び取るべきなのである。